年末旅行の記録など

当初は京都に行こうというコンセプトで計画を始めた年末の旅行が、途中から紀伊半島にも行こうとか思って旅行の計画が発散したりしたのですが、行き当たりばったりながらそこそこ楽しめたので、その記録を書いてみたいともいます。
結果的に行った場所と移動経路は下記のような感じになりました。

1.熱田神宮

私たち夫婦が「三種の神器がある場所でかつ結婚式を挙げられる場所(多分唯一)」という理由で結婚式を挙げた場所ということもあって年末のお参りをしました。
境内にある「宮きしめん」は初めて食べたのですが、なんとなく縁起が良さそうという気持ちが加わったのかとても美味しかったです。

2.伊勢神宮(内宮)

16:00頃に到着して、GoogleMapで「営業時間18:00まで」と書かれていたので猿田彦神社に参拝したり、おかげ横丁で赤福を食べたりしながら正殿に到着したのが17:00ちょうど。そしたら、警備員の方に「17:00までなので早めに」と促されてしまいました。ギリギリセーフでしたが、一日で熱田神宮と伊勢神宮をお参りできて良かったのです。

3.鈴木水産(明和店)

いわゆる回る寿司なのですが、どれもこれも美味しかったので記録しておきます。中でも「えんがわの燻製」が美味しかった。

4.花の窟神社

イザナミとカグツチがまつられている神社。熊野酸性岩という火砕流堆積物からなる岩山がご神体になっていて、火の神様であるカグツチとの不思議な縁を感じる神社でした。

花窟神社のご神体

5.鬼ヶ城

こちらも熊野酸性岩の(溶結?)凝灰岩からなる景勝地。風化した火砕流堆積物と塩類風化のプロセスとかを考えながら歩くと、美しい風景に深みが出てくるかも。
また、南海トラフ地震の想定震源域に位置していることもあって、地震動による落石と津波の両方に注意しろという無理ゲーを要求する看板もありました。

ここに居るときには南海トラフ地震が起こらないのを祈るのみ

6.尾呂志川河口

河口を砂州が塞いで、見た目には川が消えている。
ここだけで無く、七里御浜に注ぐ河川の多くが砂州(「礫州」と言った方が適切かも)によって閉塞していて、七里御浜の出来方を考えるヒントを与えている。

ここが河口です

7.熊野速玉神社

12年ぶりの参拝でした。

8.蜃気楼と隆起波食台

沖合の船が、宙に浮いたように見えました。
手前の波食台が隆起していて、おそらく昭和東南海・南海地震で隆起したのでしょう。

潮岬の隆起波食台と沖合の”浮いた”船

9.古座川潜水橋(道がわからず)

欄干など洪水流の抵抗を受ける構造物を省くことによって、洪水に飲み込まれた場合の被害を防ぐ橋です。このような橋は「沈水橋」として四国の四万十川に多くかけられていますが、ここでは「潜水橋」と呼ばれています。
ジオパークのWebサイトにジオサイトとして紹介されていたので訪問してみたのですが、車を置く場所が見当たらずに、近くから見ただけで退散していまいました。

10.古座川(一枚岩)

NHKの番組でも紹介されていた一枚岩。中新世にあった巨大カルデラの縁辺部に位置する古座川弧状岩脈をなす流紋岩質溶結凝灰岩からなる巨大な岩。

11.橋抗岩

こちらも、大雑把には古座川の一枚岩と同じく中新世の火成活動によるもの。熊野層群に概ね南北走向に貫入した中新世の岩脈が、熊野層群よりも相対的に侵食されにくいことで列状に残って景勝地となったもの。
訪問した12月28日14:00頃の潮位は+12cm(標高表示)で、最も潮位が低い時間帯では無かったものの、波食台が橋杭岩の周りに広がっていた。これは、昭和東南海・南海地震で隆起したためでは無いかと思ったりもしたが、橋杭岩の解説ページにはそのような記載はありませんでした。なお、解説ページの記載によると波食台に転がっていた巨礫は、南海トラフ地震による津波で運ばれてきたものらしい。

12.潮岬特別地域気象観測所

2009年9月までは「潮岬測候所」だったのが、無人化されて特別地域気象観測所となったもの。無人なのですが、ラジオゾンデによる観測は行われていて、ラジオゾンデ自動放球システムを動かす圧搾空気の音についての注意書きがある。

「プシュー」

13.本州最南端の碑

ここに来るまでは本州最南端という意識はありませんでした。

14.トルコ軍艦遭難慰霊碑

1890年に発生したエルトゥールル号遭難事件の慰霊碑。日本とトルコの友好のきっかけの一つとして有名。

15.フェニックス褶曲(到達出来ず)

南紀熊野ジオパークのWebサイトにジオサイトとして紹介されていたので、気軽な気持ちで行こうと思ったものの、行き方がわからずに途中で断念しました。Twitterで寄せられた情報だと、潮が引いた状態でないと行けなさそうでした。
ジオサイトとしてアピールするのだったら、少なくとも「それなりの装備が必要です」という記載がほしかったです。

16.千畳敷

白浜にある見事な露頭。礫→砂と情報に向かって細粒化するユニットがいくつもあって、この見事な景観をなす地層の堆積環境に思いをはせました。

17.牟婁の湯

砿湯(まぶゆ)と行幸湯(みゆきゆ)という二つの泉質を楽しめる公衆浴場。砿湯は中性高張性高温泉、行幸湯は弱アルカリ性高張性高温泉とのこと。

18.アドベンチャーワールド

パンダが有名ですけど、それ以外の動物の展示も工夫されていて、当初は「高いな」と思った入場料もリーズナブルなクオリティでした。でも、やっぱりパンダが最高でした。

19.白崎海岸

秩父帯(?)の石灰岩がなす不思議な景観の海岸で、石灰岩を作った生物の化石を見ることが出来ます。道の駅などの施設も整えられていたのですが、2018年の台風21号によって大きな被害を受けて、ごく一部を除いて閉鎖されてしまっています。

石灰岩を形成する化石

2018年台風21号で被災した建物

20.中央構造線・根来断層露頭

GoogleMapでも「中央構造線・根来断層露頭」として検索できるので、見学が出来るのかと思ったのですが、特に案内等もなくという感じでした。露頭は埋められているのかと諦めかけたそのとき、道路沿いの法面に怪しいシートを発見。シートをめくったところ、和泉層群の砂岩の上に未固結(半固結)な礫層(菖蒲谷層?)が載っているのが観察できました。現地では未固結(半固結)な礫層だと思ったのですが、写真を見ると断層角礫岩の様にも見えます。日没時刻が近くてよく見えなかったと言い訳させてください(´・ω・`)

法面にあった不自然なシート

シートの奥には砂岩と礫層(?)

21.彩華ラーメン

天理は名阪国道で何度も通過していたのですが、天理ラーメンとして有名なサイカラーメンは初めて食しました。
野菜たっぷりで美味しかったのです♪。

22.小倉堤(大和街道)

夜になってしまったのですが、車でちょっとだけ走ってみました。
機会を作って一度歩いてみたいものです。

23.旧東海道線(旧山科駅)

こちらも車で通過しただけ。
明治時代の旧山梨駅の場所が、昭和時代の名神高速の起工の地となっているも面白いところです。

24.髭茶屋追分

東海道と大和街道の追分で、この場所を京都府と滋賀県の府県界が通っている。近世以前の山城・近江の国境もこの場所だったとかで、なんでこの場所を国境が通っていたのかなどイロイロと興味深い。そして、石碑だけで無く府県界を示す標識にも萌える。

髭茶屋追分、右が東海道で京都に至る

25.旧逢坂山ずい道東口

1880(明治13)年に、大津と京都を結ぶトンネルとして完成。1921(大正10)年8月に線路変更によって廃線になったものの、今でもその姿を残している。

26.ダイコクバーガー

「こち亀」作者として知られる秋本治さんの「ファインダー」というコミックの聖地であると言うことを知ったのは、お店に入ったときでした。パンズの内側が焼いてあって、とっても美味しいハンバーガーでした。

27.丹波国分寺跡

ダイコクバーガーさんでお昼ご飯を食べてから、出雲大神宮に向かう途中で地図に有ったので寄ってみた。近世に再興されたお寺があるが、それよりも遙かに立派な建物を想像させる礎石があった。一宮も近くにあることから、亀岡盆地が丹波国の中心だったことを示唆している。

28.出雲大神宮(丹波一宮)

境内にある全ての大きめの石ににしめ縄がされていたり、ご神体も石だったりと、ジオ属性持ちには嬉しい神社。

29.篠山城下町(町屋敷)

なんとなく通過しかけたのですが、素敵な雰囲気に街をブラブラ歩きました。パン屋さんとか素敵なお店が建ち並ぶだけで無く、城下町の町家をリノベーションしたホテルがあちこちにあったりと、町並みを保存しつつも観光資源として活用していました。

30.篠山城下町(武家屋敷)

篠山城下町のすごいところは、武家屋敷も残っていること。明治維新の版籍奉還・地租改正で士族が屋敷を手放してしまう例が多いのか、官公庁に接収されてしまうためか武家屋敷が残っていないケースが多いのですが、篠山城下町には武家屋敷もしっかりと残っていました。

31.丹波竜の里

恐竜が出た露頭なのか。当然と言えば当然ですが、露頭そのものは遠目に観察するだけでした(´・ω・`)

32.石生の水分れ

一本の水路が、日本海に向かう水路と太平洋(瀬戸内海)に向かう水路に別れていて大変萌えるポイント。この境目で立ち小便をしたいという衝動に駆られましたが、なんとか我慢できました。

石生の水分れ

33.たいの鯛

夕食に入った回転寿司屋さん。海の幸がとっても美味しいお寿司屋さんなのですが、その中でも「鯛の塩ラーメン」は絶品でした。岡山に行くときの通り道に近いので、再訪したいところです。

ジオパークについて思ったこと

今回、南紀熊野ジオパークさんにお邪魔して、ジオサイトを見学させていただきました。不勉強なまま訪れても、ジオパークであれば親切な解説看板があるたので、現地での疑問を引きずらないまま、勉強をしつつ観光を楽しむことが出来ました。その一方で、若干ながら不満に感じたこともありましたので、その主なものとして2点ほど綴らさせていただきます。

1.ジオには県境は無いけどジオパークは県境で途切れる

どうしても、自治体単位での推進・認定となってしまうので仕方が無いのかもしれませんが、「南紀熊野ジオパーク」を掲げている以上は、三重県側にもなんとか手を広げてほしいと思いました。と言うのも「熊野」を名乗っている以上、「三重県熊野市」に広がっていないのはもったいないというか、看板に偽りありと思わずには居られませんでした(´・ω・`)

2.ジオサイトへの立ち入り可否の情報開示

実際に訪問することが実質的に不可能なのにも関わらず「ジオサイト」として紹介されているケースが散見されます。今回の場合はフェニックス褶曲で、ジオサイトとして紹介されているからスニーカー程度で行けるだろうと思ったら無理なようでした。ジオサイトとしての紹介そのものを否定するつもりはありませんが、「ロッククライミングの技能を要します」「藪漕ぎの装備が必要です」「私有地のため事前の許可無く入れません」のような注意書きはしてほしいものです。